邪馬壹国と卑彌呼の風景(畿内説)

〜素直に読み解く日本古代史〜

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お立ち寄りいただき有難うございます。弊サイトは著名な各文献(記紀,魏志倭人伝,先代旧事本紀など)の記述や各種考古学成果を極力素直に受け容れ、邪馬壹国・卑彌呼の時代を中心にした日本古代の風景を再現することを目標としております。浅学 & 質素な造りではありますが、興味をもってご覧頂ける方がおられれば望外の喜びです。

尚、弊サイトは「歴史研究会(全国歴史研究会)」発行の「歴史研究」への弊サイト管理者の投稿原稿(掲載・未掲載)を編集・公開するものです。

(1) 本文・添付ファイルは特にお断りすること無く不定期的に更新(改正・差替)をさせて頂いております(但し、添付ファイルには最新改正来歴を記載)。ご了承願います。
(2) 尚、2014.10月より管理者都合により弊サイトは休眠中です。ご承知置き願います。
(3) 弊サイトの内容・着想を引用される場合はその旨を記載戴きますようお願い申し上げます。

弊サイトは、以下の先学の研究成果を肯定し支持します
 1.「投馬國は出雲」「邪馬壹國は大和」「狗奴國は毛野」[内藤湖南、山田孝雄、笠井新也各氏説の総合]
 2.「応神元年(西暦390年)を基準とした日本書紀天皇在位年数の四倍暦補正」[宝賀寿男氏「神武東征の原像」]
 3.「卑彌呼は宇那比姫命」[桂川光和氏サイト「日本建国史」ご参照] ⇒弊サイトの補足はこちらから (邪馬壹國の人名・官名の比定.pdf)
 4.「一大率は"一人の大率"であり"たける"と呼ばれていた」[小平一郎氏サイト「 一大率・難升米の読み方と白日別の意味」ご参照]
 5.「神武〜懿徳期の磯城縣主は地祇系賀茂族である」[太田亮氏「姓氏家系大辭典」] ⇒弊サイトの補足はこちらから (磯城縣主.pdf)

上記理解のもと、弊サイトでは以下を主張します
 1. 旁國二十一國は邪馬壹國〜狗奴國に挟まれた甲信・三遠までの諸國 ⇒詳細はこちらから (魏志倭人伝の各國の比定.pdf)
             ◊斯馬國(志摩) ◊己百支國(伊吹) ◊伊邪國(伊勢) ◊都支國(多岐) ◊彌奴國(美濃) ◊好古都國(大縣) ◊不呼國(不破)
             ◊姐奴國(諏訪) ◊對蘇國(安曇) ◊蘇奴國(科野) ◊呼邑國(甲斐) ◊華奴蘇奴國(埴科)
             ◊鬼國(紀伊) ◊爲吾國(伊賀) ◊鬼奴國(熊野) ◊邪馬國(山代) ◊躬臣國(高志)
             ◊巴利國(尾張) ◊支惟國(三河) ◊烏奴國(遠江飯寶) ◊奴國(遠江久努)
       > 女王國連合は銅鐸(近畿式・三遠式)文化圏を包含する
       > 纏向遺跡で出土する土器の分布(山陰系・吉備系・近江系・尾張系・駿河系)と整合する[奈良県立橿原考古学研究所付属博物館公式サイトご参照]
       > 日本武尊の東征往路・復路との連続性がある
 2. 「狗古智卑狗」は日本書紀(神代)に記述のある悪神「天香香背男」である ⇒詳細はこちらから (狗奴國と狗古智卑狗の比定.pdf)
       >「狗古智卑狗」は「くこちぇ・彦」〜「久我兄・彦」〜「香香背・男」
       >「天香香背男」は先代旧事本紀に饒速日命の供奉者として名を連ねる「天背男命(山背久我直等祖)」と相関がある [高群逸枝氏「母系制の研究」]
       > 駿河以東の天香香背男伝承(駿河 倭文神社、常陸 大甕倭文神社)は女王國境界(奴國=久努)と整合する
 3. 上代各天皇の漢風・和風諡号と魏志倭人伝の記述は符合する ⇒詳細はこちらから (古代天皇の在位年及び諡号の解釈.pdf)
       >「懿徳」は在位短期間で不幸のうちに薨去
       >「歴年無主」の混乱が収まったのは神武の創業を継いだ「孝昭」の御代
       > 卑彌呼歿後の男王は「孝霊」
 4. 吉備は地祇系賀茂族の建てた国である ⇒詳細はこちらから (古代吉備と地祇系賀茂族.pdf)
       > 出雲での前期特殊器台の出土、大和での後期特殊器台・特殊壺及び前方後円墳の出現と整合する
       > 特殊壺(前期型)の分布から「(出雲)西谷墳墓群‐(被葬者)塩冶毘古命」⇔「(吉備)楯築墳丘墓‐(被葬者)味耜高日子根神の裔」と連想される
 5. 一大率は多氏である ⇒詳細はこちらから (一大率と多氏.pdf)
       > 伊都國の官「爾支」「泄謨觚・柄渠觚」は日向三代の名を伝えるもの
       > 賜姓以前の多氏は代々「武」を名に冠しており大率(たける)に一致
 6. 卑彌呼は伊勢神宮荒祭宮に天照大神荒魂として祀られている ⇒詳細はこちらから (天照大神と卑彌呼.pdf)
       > 神代の大日靈貴神も人代の卑彌呼も共に日本書紀では「天照大神」とされている
       > 豊鍬入姫命・倭姫命による遷幸により伊勢に鎮座したのは卑彌呼の御魂 - 崇神紀の「天照大神」& 神功摂政前紀の「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」
       > 豊鍬入姫命・倭姫命は皇女であると共に卑彌呼の血縁であるが故に「天照大神」の斎主として選ばれたもの
       > 豊鍬入姫命の丹波・紀伊・吉備への遷幸は卑彌呼の縁故を巡ったもの
 7. 倭国大乱末期 - 懿徳と孝昭の皇位継承に不連続がある ⇒詳細はこちらから (倭国大乱-懿徳・孝昭.pdf)
       > 播磨国風土記の出雲神族と天日槍の争いは懿徳・孝昭の御代の事歴を伝えるもの
       > 孝昭の外祖父の息石耳命(常根津日子伊呂泥命)は但馬・出石に関連する人物

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